当社の歴史と思い
当社の創業は、1970年(昭和45年)に遡ります。
地元の半導体メーカーの下請けとして、現代表である雪田 康夫の父が創業前にガラス電球管の手作り職人であった仲間達と創業しました。ときは、高度成長期、時代は真空管から半導体へと移行して行く中で、産業のコメともいわれた半導体事業は成長を続け、当社の整流ダイオードやディスクリート半導体の加工や組み立て事業も順調に拡大しました。
しかし、半導体市場も、バブルの崩壊とともに韓国や中国といったアジア諸国の攻勢を受けるようになります。私が入社したのは、2000年。半導体市場に逆風が吹き荒れるその真っただ中だったのです。
そんな中、当社が注目したのが、次世代型エネルギーであるリチウムイオン電池でした。大手メーカーでリチウムイオン電池の開発に携わり、EV用の大型電池開発を担当した技術力で、新しい事業を模索していました。
2000年代に入ると、ハイテク産業が台頭。ノートパソコンやデジタルカメラに携帯電話など、持ち歩き出来るモバイル機器が次々に登場します。そして、モバイル機器の市場拡大に伴って、バッテリーの劣化という問題が顕在化するようになっていました。
そこで、私たちは、バッテリー劣化に対する市場の声に耳を傾け、バッテリーのもつ可能性に着目しました。そして、バッテリー劣化の解決策の一つとしてバッテリーパック内の電池を新品電池と交換する「バッテリー再生・リフレッシュサービス事業」を開始し、その後「バッテリーパック試作・開発受託事業」「リチウムイオン電池開発・試作受託事業」」という3つの事業を開始したのです。バッテリーは、みなさまの生活を豊かにするだけではなく、持続可能な社会を実現する可能性を秘めています。
バッテリーの力で社会貢献し
持続可能な未来を創るために
今日も、社員一同、バッテリーの可能性を追い求め、バッテリーと向き合います。
代表取締役 雪田 康夫
社員と地域の幸せを目指して
半導体市場に逆風が吹く2000年当時、社長に就任した私が大切にしてきたことが、社員の幸福と社会貢献でした。厳しい状況に置かれると、会社の存在意義は、利益を上げることに意識が振り向けられます。しかし、それでは持続的な事業継続は難しい。社員や地域、そしてその家族たちを大切にし、自分たちができる身の丈にあった事業を、精神誠意心を込めて継続することを目指したのです。
こうして、茂原産業株式会社は、「バッテリー・再生リフレッシュ事業」「バッテリーパックの試作・開発事業」「リチウムイオン電池の試作・開発事業」という3つの事業を展開できるまでになりました。このときの教訓を忘れないよう、当社では社是を明文化し、従業員と共有するようにしています。
社是
『人を幸福にし、社会に貢献する会社になろう。』
『身の丈経営を行い、永続する会社になろう。』
社会貢献活動
当社には、ガラス電球管から始まり、半導体事業からバッテリー事業へと事業をダイナミックに変化させる中でも、ものづくりのDNAを受け継いでいます。世の中では、日本のものづくりの力に疑問符がついたり、ものづくりよりインターネットの普及でサービス業が注目されたりすることが多くなってきました。しかし、本来、ものをつくるという仕事は面白く、やりがいがあるものです。
ものづくりの面白さをもっと普及させたい思いから、当社の代表である雪田は茂原市商工会議所における体験教室委員会の委員長に就任。毎年、小学生向け『夏休みこども体験教室』『みんなのMIRAI塾』、中学生向け 『出張職場体験』等 を開催しております。
当社のものづくりのDNAを継承し、日本の明るい将来に貢献するために。
そしてなにより、子どもたちの不思議ややる気を刺激して、未来の可能性を広げるために。
茂原産業が目指す社会は、バッテリーの力で実現する環境配慮型の社会だけではありません。
子どもたちの笑顔があふれる、元気で活力あふれる社会そのものです。
社長も参加します プログラム通りに動くかな 毎年、兄弟で参加します みんなで記念撮影 中学校に出張して教室を開催 茂高街塾で学生たちと みんなのMIRAI塾
’23 11/22開催予定
会社概要
会社名 | 茂原産業株式会社 |
英文社名 | mobarasangyo Co. Ltd. |
代表取締役 | 雪田 康夫 |
従業員数 | 14名 |
設立 | 昭和45年4月10日 |
事業内容 | ・バッテリーパックの再生リフレッシュサービス ・Liイオン電池及びバッテリーパックの開発、試作 ・バッテリー部品加工及び組立て ・各種電子機器製作 ・電子部品の加工、組立 ・特殊記録メディアの開発、製造 |
所在地 | 〒297-0029 千葉県茂原市高師52−5 |
TEL | 0475-22-3816 |
FAX | 0475-22-8326 |